35日目

 枠の内側に居る人と外側に居る人,それぞれが思いは捻じれる.

 

内側の人にはムラ社会を変えたいと願い行動を起こそうとする人もいるが,外側に居る人からすればそれすらもバカバカしいことだ.そういう行動ができることは内側の特権であり,外側からすればとんだ茶番だ.外側の人はこう思うだろう:本当に変えたかったら特権を使わずに外側にいる大多数を味方に付ける方法でやってみろ,と.

 

内側の人はどう思うのだろう.ぼくは明らかに外側の人として生きてきたからそういう気持ちがわからないけれども,やはり既得権益は手放せないものなのだろうか.内側の人からは「しぶとい」だの「すがすがしいほど全方位に射撃する」だの(たぶん褒め言葉として)言われるが,そうしないと生きていけないのが外側の世界だよ.来てみたら面白いよ,外側の世界は.人はバタバタといなくなっていくけれども,雨後の筍のごとくまた出てくるから楽しい友達がたくさんできる.

 

外側の人はめったなことでは内側に入ることはないけれども,仮にそういう機会があったらどうするんだろう.ぼくは断るんだろう.内側の面倒な世界を社に構えて眺めていた自分を守りたいというのは否定しないけれども,どうせ外に出たいと言い出す自分が想像できる.

 

一度内側に入って嫌なら外に出ればいいじゃないか,と言う人がいるかもしれない.どうだろう.外に出られる保証はどこにもない気がする.結局のところ,外側の人には外側の空気が合うのだろう.こうして溝が深まるのか壁が高まるのかなんだか知らないけれども,今日も何も解決しない.

34日目

そんなに自分は賢くないと思いつつ,「いやぁ,でもやっぱり一番だよな」と思うことがある.というか毎日そう思っている.ひと言で言えば根拠のない自信というものであろう.

 

新しいことをするのは怖い.失敗するのは誰だって嫌だろう.職業柄,まぁ別にいいんじゃねぇの? という軽いノリで失敗するのは慣れているが,転職先での初仕事をどうするかなんて怖い.怖い.転職を二度三度ほどすると既視感があるのでさほどハードルを感じることはなくなり,ちょっとウキウキする時期でもあるけれども,たぶんこれはおかしい.

 

新年とか新年度とか新たな門出とか,そういうものがあまり好きではない.別に24時間経ったら次の日は来る.日常は連続的だよとよくぼやくが,不連続的であるということをわかりつつ言っている自分が確かにそこにいる.そういう乱雑性を楽しめるようになると,根拠のない自信とやらが生まれてくるのかもしれない.

 

これが良いか悪いかはどうでもよいことで,ぼくはこれ以上のことを考えることにまったく興味がわかない.でも,一つだけ確かなことは,根拠のない自信とやらを持っている人を眺めるのは面白いということだ.

33日目

新しいことをするには大変なエネルギーがいる.そもそも面倒なのだが,一番の障壁は恐怖だ.うまくいかないかもしれない,というかうまくいかない.うまくいくときは何かを勘違いしているか,そもそも教科書を読めばわかるようなことをやっているときだから.

 

それに打ち勝ったときの喜びはひとしおである,なんて月並みなことを言うのは良くないだろう.なにしろ怖いのだから.うまくいかなかったら契約の延長がないかもしれない,なんてこともある.怖い,とにかく怖い.

 

同時に,「でも,そういうのをする職業でしょ」というのもまた真だろう.好きなことをして生きる以上はリスクも必要になる.当然だろう.でも,いざ自分の身に降りかかると逃げ出したくなる人の気持ちもわかる.

 

知の地平線の向こう側を見るのは生易しいことではないのだから,誰しも最初は震えるだろう.まずは震えるということを受け入れることからか.

32日目

迷ってふらふらしながら現在に至り,最近は特筆すべきこともなくなってきた.良い兆候なのか,はたまた多様性が失われているだけなのか.確かなことは,何年かすればそれが分かる・・・のではないということだ.そんな大それたことが分かるなんてそんなに賢くなったつもりはない.

 

自分が納得していればそれでよく,それ以上でも以下でもない.嫌なことと楽しいことが交互にあるいは不連続に舞い込み,でも移動平均をとれば大したことのない,そんな繰り返し.なんだかたくさん移動したつもりでも,距離としてみれば大したことがないこともある.その逆は,ある気もするしない気もする.

 

そんなことはどうだって良いのかもしれない.

 

見たい世界を今日も見ようと努力したか,それにウソをついてさえいなければそれでいい.

 

31日目

デジタルに浸かる日々にふと,アナログが舞い込んできた.

 

アメリカに居た頃の親友から「弟がフェイスブックをやめるんだけど,君の連絡先を知りたがっていた」と.親友という言葉は一方通行であまり好きではないが,少なくとも気の置けない関係ではあった.

 

メールアドレスを教えたところ,さっそく弟くんから連絡が.要はSNS疲れというものらしい.現代は大変だ.曰く,

Hey there, I removed myself from social media and I wanted to stay in contact with you in some way. At this moment email is the best. But I would to eventually move toward written messages as pen pals, what do you think about that?

と.こじゃれているというか,趣が深いというか.

 

デジタルはフォントによって文字列としての特徴は失われる一方で,アナログはいくつかの気持ちが垣間見えるかもしれない.今では珍しい手段で平凡な日常を伝える,そういうのも悪くない.

 

悠久,そんな言葉が頭をよぎった.

30日目

理想と現実が違ったときにどうしようか.

 

登りきった山頂が思ったよりきれいじゃなかったとき,ふと見上げた空が思ったよりどんよりしていたとき,小説がハッピーエンドじゃなくてもやもやしたとき,どうしようか.手を差し伸べてくれる人がいたら楽なのだろうけど,現実はいつだって非情で,いつだって現実的なので,何も起きない.

 

反対に,思いもよらぬ形で現実がきれいに見えるときだってあるだろう.雨あがりのアスファルトの匂いだったり,草木に手を突っ込んだときの程よい痛さだったり,電線の垂れ下がる曲線だったり.とはいえ,それはどれも誰かが用意してくれたものではなく,ただそこにあるだけだからどうでもいいことかもしれない.

 

現実にΔtを足すと未来がやってくる.dt積分できたらさぞかし楽しい・・・とは思えず,たぶんものすごくつまらない.できてしまったら,見たかった未来が見えなくなる.そんな気がする.

29日目

人がいなさそうな方へ,できるだけ危ない方へ,それが一番の安全.

 

少なくとも一番になれないことを知っていて,でも諦めらない程度に未熟なめんどくささ.たくさんの人がいるところに行けば,自分よりも強い人がたくさんいて,あっという間に飲まれてしまう.だから人がいない方に行くのが正解.

 

ちょっと人が少ないところに行くとなんだかすごく気持ちが良くて,強くなった気がする.ただの幻想.人がたくさんいるところで苦労する人を見ての相対的な話.ときたま,3年とか5年とか,ふらふらと環境を変えるのがたぶん最適解.ふらふらしたら,いつかは自分の居場所とやらを見つけられるのかもしれない.

 

社会に合わせる必要はなくて,社会を感じて生きていれば,それでいいんだろう.