13日目

なりたかった自分,見たかった明日の話.

  

子どものころに抱く将来の夢なんてだいたいは潰(つい)えるもので,プロ野球選手やプロ棋士を見ていると信念の強さがオーダーで違うと思わざるを得ない.もちろん実力や運もあるのだろうけど,それらを兼ね揃えてもなお信念を持ち続けられる人はそう多くない.

 

大きくなるごとに夢は小さく現実的なものになり,だいたいはつまらないものに落ち着く.たぶん,負の相関がある.そしてどこかで「これで良いんだ」と合理化する.折り合いといえばそれまでだが,自分を騙す作業を意図的にこなしている気がする.研究に没頭していると,こういうことを考えないで済む.いや,ただ何も考えていないだけか.

 

「ぼくがなりたかった自分はこれだったの?」とか,「見たかった明日はこれで見られるの?」とか,そういう痛い言葉から逃げられず,それなりの努力と成果に導かれて現在に至る.でも,それは皮肉にも自分に対する合理化がとても下手だったことに他ならない.

 

こんなことを考えていられること自体,疑いようもなく幸運なのだろう.一晩寝たら,ぼくが見たかった明日は来るのだろうか.来ていたら今日のぼくはたぶん合っていたし,来なかったら合っていなかったということになる.いや,時間で積分しないのは良くないか.いやいや,そもそも何と比べて合っているのか.見たかった明日が,霞む.