35日目

 枠の内側に居る人と外側に居る人,それぞれが思いは捻じれる.

 

内側の人にはムラ社会を変えたいと願い行動を起こそうとする人もいるが,外側に居る人からすればそれすらもバカバカしいことだ.そういう行動ができることは内側の特権であり,外側からすればとんだ茶番だ.外側の人はこう思うだろう:本当に変えたかったら特権を使わずに外側にいる大多数を味方に付ける方法でやってみろ,と.

 

内側の人はどう思うのだろう.ぼくは明らかに外側の人として生きてきたからそういう気持ちがわからないけれども,やはり既得権益は手放せないものなのだろうか.内側の人からは「しぶとい」だの「すがすがしいほど全方位に射撃する」だの(たぶん褒め言葉として)言われるが,そうしないと生きていけないのが外側の世界だよ.来てみたら面白いよ,外側の世界は.人はバタバタといなくなっていくけれども,雨後の筍のごとくまた出てくるから楽しい友達がたくさんできる.

 

外側の人はめったなことでは内側に入ることはないけれども,仮にそういう機会があったらどうするんだろう.ぼくは断るんだろう.内側の面倒な世界を社に構えて眺めていた自分を守りたいというのは否定しないけれども,どうせ外に出たいと言い出す自分が想像できる.

 

一度内側に入って嫌なら外に出ればいいじゃないか,と言う人がいるかもしれない.どうだろう.外に出られる保証はどこにもない気がする.結局のところ,外側の人には外側の空気が合うのだろう.こうして溝が深まるのか壁が高まるのかなんだか知らないけれども,今日も何も解決しない.