6日目

昔の話の続き.

 

修士からは元の大学に戻り,かなりfundamentalな物理化学のラボの所属に.成り行きで移ったラボなので,ラボでやっているテーマには正直あまり興味が湧かなかった.でも,とても温厚なボスだったし「博士課程まで行くのだから好きにやってくれていいよ」と言ってくれたので,前向きに研究に取り組めた.理想的な指導教員だったと思うし,いまでも感謝している.

 

結論としては,自分でテーマを決めて実験をして,兄弟子(隣ラボに居た)やボスにつまらないと言われながらも論文を書き,なんとか博士号をとれた.惜しむらくは「何が面白いのか」から逃げたことだ.脳に汗をかくという作業から逃げた,そう言っても良いかもしれない.でも,諭すように根気強く,時として厳しく接してくれたボスのおかげでそれに気づけたし,それを心に刻んで今日まで走っているという気はしている.

 

もちろん,それでも博士なのかということは卒業後に就いた前職で相当悩んだが,「すべてを飲み込んでボスは博士号を与えたのだ」とやや勝手な解釈をすることにした.ある種,諦めたというべきなのかもしれない.いつか書こうとは思うが,ぼくほど出来の悪い博士号取得者もいるまい.学振はとれずじまい,持っている業績は論文数だけ,内容はお察し.よくこれで博士号がとれたものだ.

 

世の中には多種多様な教員がいるが,指導者として最も重要な能力は学生の成長を待つことだと思う.自分も含め待てない教員は多い.あるいは,そもそも待つという考えを放棄している教員も多い.待たないと育たないし,待ったからといって育つとも限らない.でも,育つためには待つしかない.当たり前のことを当たり前のようにすることはかくも難しいことなのか,いま振り返るとそう思う.

 

学生のときは反抗的な態度をとったこともあるが,すべては指導教員の手のひらで踊っていただけなのだろう.今となっては懐かしい思い出である.