24日目

種もみを食べてしまったらもう稲は生やすことはできない.わかっていても種もみを食べれば一時の飢えは凌げるし,満足感も得られて楽しい.でも,じわりじわりと貧しくくなっていくことも頭では理解している.ジリ貧になる前に食べるのを止めるか,新しい種をどこからか調達するかをできる人は多くない.

 

井戸を掘るのだって鉱山を掘るのだって同じだ.いつかそこの資源は途絶えることをみんな知っているのに,掘ることを止めない.かくいう自分も公共のライフラインのおかげで生活できているのだから,同じ穴の狢ということになる.考えるべき対象が自分なのか,地域なのか,世界なのか,階層は違えどみんな同じ局面に異なるタイミング,異なる環境で直面している.

 

自分の専門分野で自分より秀でている人は履いて捨てるほどいるのだから,そういう人に任せるというのは立派な一案だ.でも,正解がその専門分野になかったらどうしようもない.金脈から遠く離れたところで一生懸命になっても,何も出るわけがない.でも,どこに金脈があるかなんてわからない.

 

ところで,正解ってなんだろう.わからないまま大人になったけど,どちらかというとよりわからなくなった気がするし,そうであるとわかったような気もする.