21日目

引っ越しを経験する度に「この街のこと,何も知らなかったな」と思う.商店街にたたずむ和菓子屋がおいしかったり,あてもなく歩いたら近いけれども使わない路線の駅にたどり着いたり.

 

数年前,少し前にたまたま近くを通りかかったから実家(があったところ)を見に行ったら,見慣れた風景にご近所さんがまだ住んでいることがわかった.ついでに,スーパーマーケットに行ったらえらく狭く感じた.子供のころの半分くらいの感覚.大きくなったのだから当然なのだが,なんだか少し哀しかった.

 

アメリカに2度に帰ったときもそう.1度目は,研究者を志す以上はもう遊ぶことはないだろうから,と人生最後の旅行として行った.2度目は,父親の介護だったがこれが最期だろうと思って覚悟して地を後にした.もしかしたら,母親も会えないかもしれない.そうなると帰るところがなくなるが,町はそこにあるからあとはぼくの気持ちの問題.

 

もう帰らないんだろうという気持ちになること自体なんとも詰まる思いだが,次に進むためには必要なできごとなのだろう.何年も同じように生きていたら,前に進む人たちがだんだんまぶしく本来なすべきことを見失う,そんな気がする.

20日目

"Tell me your favorite memory with me "という,いかにもな投稿をアメリカの友人がFBにしていた.今でも家族全員と仲良しだけれども,そこまでいくとこれぞというよりは何気ない日常の方が思い出である.なにせ,9年前に帰ったときは勝手に家に入ってソファで飼い犬と遊びながらその家族の帰りを待つ,そういう間柄である.

 

高校の有志で一緒に演劇をやったとき毎日夜まで練習したよねって書いたら,「練習の出番ないとき宿題教えてくれたよね!」って返ってきた.そうそう,数学が苦手な彼女はぼくに一次関数の宿題を教わっていた.拙い英語だったけれども,数少ない教えられる科目だったから嬉しかった.

 

ついでに当時(15年前)の日記を取り出してみた.どうやら2月3日に演劇の練習をして,彼女の家で遊んだらしい.4人兄弟で一番上の兄がぼくと同級生で大親友(2年前に遊びに帰ったとき,帰国前日に急きょ泊めてくれて明け方に空港まで車出してくれた).ちなみに彼女はのちに獣医になり,妹の犬の手術もした.すでに書いたかしれないけど,仲良しのよしみでその時の手術代の一部はぼくが出した.助け助けられ,ぜんぶ懐かしい思い出だ.

 

ところでこのブログのタイトル,The Scarlet Letterは当時ぼくが苦しめられたNathaniel Hawthorneの文学作品である.日本語だと『緋文字』という作品名で知られているらしい.悪夢がよみがえるからぼくは読まないけど.

19日目

元ボスにお叱りを受けた.

 

「ドクターの指導教員を尊敬しすぎる人も,指導教員認定しない人も,あまり幸せな人生を送っていない気がする」と.これは,ぼくが「指導教員(たち)を尊敬している」と言ったのを受けてのもの.ドクターをとった人は多かれ少なかれ指導教員を尊敬しているので後者はよくわからないが,前者はとてもよくわかる.

 

ぼくは信者レベルでの尊敬を抱いているわけではないはずなのだけど,先生にはそう見えたようだ.言われた元ボスが冒頭のように言うのだから,きっと尊敬が過度なのだろう.自分の未熟さを受けての感情なのだけど,それに対しても「慢心は論外ですが,本心で未熟と思うのも良くない」と.これもわかる.だが,指導教員の研究能力・人間性を前にして,自分が未熟と思えないことがあるだろうか.

 

最後にこう言われた:自分で切り開くしかないというか,自分ですべて差配できるというか,な職業だから肩肘張らずに行きましょう.

 

そうなんだよな.そういう生き方に憧れて,ぼくは研究者になったんだよな.

 

18日目

中高一貫の中学に入学するときに,校長先生から「この6年間で一生の友達を見つけてください」と言われたけど,最初の1か月でそれは諦めた.人生はタイミングが大事.

 

単純にぼくの協調性がなかったのもあるけれども,自分勝手な人をほっとけという環境ではなく,ほどなく学校に行かなくなった.あと,授業が簡単すぎて退屈だった.そういう学校に入ったのが間違いだったので,やはり学校説明会は重要だと思う.中学受験だと親が行くものなので自分ではどうしようもない気もするけれども.

 

幸いにも高校で1年間留学して人間関係をリセットできたし,留学先の友達は今でも仲が良いから水が合わなかったら環境を変えた方が良い.楽しくなったのは大学2, 3年くらいからで,今でも研究やっている当時博士課程の先輩と親しくなっていろいろ教えてくれた.3人いる恩師のうち一人と出会ったのもこのころ.大学院生のころにはたくさん友達ができて,うまくいかなくて辛いときもアホなこと言い合ってあの頃は(も)一番楽しかった.

 

多少の波はあれど,毎年のように新しいことに出会えている気がする.昔の方が楽しかったなんて言うことなく,「今が全盛期だ」と言えるような毎日を過ごしたいものだ.

17日目

対外的な評価が欲しいと思うときは、きっと何かを失っている.

 

概念を創ることが仕事の意義ならば,実際におこなうこと(たとえば研究テーマ)はただの概念の具現化.だから,類似あるいはパクリとも思えるような論文が出たところで本質的に傷ついてはいけないし,逆説的には感謝した方が良い.引用されたとかされてないとか,いろいろ言いたいことあるだろうけどそれに目くじらを立てるほどヒトの寿命は長くない.どちらかというと,周りの方が騒いで本人は周りほど気にしていないというケースが多いように思う.大丈夫,概念は奪われない.

 

厄介なのは,概念はその人の人生を色濃く反映するところで,研究者ならばB, M, Dのボスの思想が無意識に刷り込まれている.訛りみたいなもので,最初は訛ってなくてもだんだん訛る.で,それは環境を変えない限り直すのは不可能(何せ最も身近な人が訛らせる原因だから).

 

だからこそ研究分野は若いうちに変えるべきで,同時に多様性も獲得できて一石二鳥.昨今の公募事情は察することあまりあるけれども,高潔さは一度失うともう取り戻せないと思う.少なくとも,ぼくはそこまで器用ではない.いろいろ言われることもあるけれど,高潔さを失ったら恩師に顔向けできないし,そもそもそんな自分なんて想像もできない.ただ,そういう生き方は難しいなとも思う.

16日目

年単位で足を踏み入れなかったところを久々に訪れると,独特に匂いとともに記憶が蘇る.そこに人の営みがおこなわれていたとしても,自分にとっての時間は止まったまま.自分が知っている時以降に何が起きたのか別に知りたいわけではなく,ただただ止まるまでの時が脳内再生される.

 

日付が変われば明日が今日になる.今日はどんな一日になるのだろうか.たぶん,今日だったはずの昨日の続きだろう.日々は不連続で連続的だ.

 

平凡な毎日をつなげていくと素敵な明日が来るのだろうか.平凡な毎日の扉を開け続けると奇跡的な明日が飛び込んでくる.わかっていても毎日を平凡に生きることすらままならない.でも,日々はツレない顔をして通り過ぎていく.

 

つまらない日が来てくれたらどんなに面白いのだろう.

15日目

4月に転職してから,良い具合に研究が進まない.一応断っておくがこれは大変良いことで,思うように進んでいたら何かしらの勘違いもしくは新規性皆無な研究をしていることが多い.

 

化学に限った話だが,おそらく研究には「うまくいかないというチュートリアル」なるものが存在する.合成なら「行くはずの反応が行かない」,「出るはずの条件で単結晶が出ない」,分析なら「S/Nが自分の性格くらい悪い」「スペクトルの線幅がカモシカの脚のよう(お世辞にも細いとは言えない)」,計算なら「投げた瞬間にジョブが止まる」,「明らかに違う構造が我が物顔で吐き出される」,ここら辺は定番だと思う.少し違うが,「保存したデータファイルの名前が意味不明でサルベージできない」も.

 

初めて論文を書くときも似た状況に陥る.一生懸命書いた文章(あるいは章節)がまるごと)消され,「この半年は何だったんだ」となる.とにかく,とにかくうまく行かない.これがイヤなら研究はやめておいた方が良いし,ほどよく楽しめる無神経さを備えているならそこそこ向いている.

 

キャリアの中で研究分野を変えても同じことに苛まれるが,博士号を取って以降ではさほどダメージを受けないと思う(n = 1).「何が起きても博論よりはマシ」という不遜な自信もあったが,「うまく行かなくても大丈夫,本当に良い研究はすぐにはできない」という経験を持っているからだ.もちろんそれが続くと辛いが,そういうときに手を差し伸べてくれる人は,たぶんすごく良い人だ.見ぬ誰かかすでに知る誰かかはまだわからないけれども,叡智という巨人は見えないたくさんの人によって成り立つ.