17日目

対外的な評価が欲しいと思うときは、きっと何かを失っている.

 

概念を創ることが仕事の意義ならば,実際におこなうこと(たとえば研究テーマ)はただの概念の具現化.だから,類似あるいはパクリとも思えるような論文が出たところで本質的に傷ついてはいけないし,逆説的には感謝した方が良い.引用されたとかされてないとか,いろいろ言いたいことあるだろうけどそれに目くじらを立てるほどヒトの寿命は長くない.どちらかというと,周りの方が騒いで本人は周りほど気にしていないというケースが多いように思う.大丈夫,概念は奪われない.

 

厄介なのは,概念はその人の人生を色濃く反映するところで,研究者ならばB, M, Dのボスの思想が無意識に刷り込まれている.訛りみたいなもので,最初は訛ってなくてもだんだん訛る.で,それは環境を変えない限り直すのは不可能(何せ最も身近な人が訛らせる原因だから).

 

だからこそ研究分野は若いうちに変えるべきで,同時に多様性も獲得できて一石二鳥.昨今の公募事情は察することあまりあるけれども,高潔さは一度失うともう取り戻せないと思う.少なくとも,ぼくはそこまで器用ではない.いろいろ言われることもあるけれど,高潔さを失ったら恩師に顔向けできないし,そもそもそんな自分なんて想像もできない.ただ,そういう生き方は難しいなとも思う.